スリッパを履く派と履かない派、どっちが多いの???
ふと考えたんですが、スリッパを履く派と履かない派、どっちの割合が多いのでしょうか?
僕はスリッパを履いた時のきっちりしていない感がとても気持ち悪く、どちらかというと履かない派です。(でもトイレの時はさすがに履きますけど。)
履く派の人に一度は聞いてみたいのですが、なんでスリッパを履くのでしょうか?
「床は汚いじゃん」という理由しかないのであれば、僕は論破する自身があります。
だって、スリッパの方が汚いですよ?床は基本的に汚れがしみこみません。
だから汚れを靴下で踏んじまうというデメリットがありますが、その一方で掃除をすれば元どおり綺麗になるという強みもあります。
汚れてしまった靴下も、洗濯をすれば綺麗になります。というかそもそも靴下は汚れるものではないでしょうか。
スリッパですが、床や靴下と同じくらいの頻度で洗っていますか?素材にもよりますが、ほとんどの素材は汗とかしみこみますよね?
「靴下が汚れるのが嫌」って言っている人、スリッパ履いてる方が不衛生じゃないですか?
それに、床は均一に汚れるのに対し、スリッパは集中的に汚れます。
なので、僕はスリッパ(時と場合によりますが)を今後も履かないと思います。
人それぞれ意見はあると思いますので、異論を認めます。
長期休暇って意外とデメリットが多いような・・・・・・?
さて、いま世間はゴールデンウィーク(初の10連休)ですが、僕はあまり長期休暇が好きではありません。
みんなも休みで人があちこちにあふれているし、なんやかんや慌ただしいので、休んだ気にならないのです。
それを言うと年末年始もあまり好きじゃないですね。
まあ元々自分の性格も相まってなのですが、他の人が働いている、もしくはどこかへ出かけている時に家でだらだら過ごすのが一番の至福だと思うんです。
というより、国民みんな一斉に同じことをする必要性を全く感じないんですよ。
たとえば一人ひとりこういう長期休暇をズラすのはどうでしょう。
「あ~僕はその日からゴールデンウィークで休みなんだよね~」みたいなのってよくないですか??
そうすれば渋滞に巻き込まれることなく車を運転できますし、デパートとか他の人が良く出入りする場所も並ばずにすぐに欲しいものが購入できます。
あとこれが一番良いのかもしれないですが、申告制で「~日から〜日まで休暇をいただきます!」「許可します」みたいな。
一緒にみんなで同じ長期休暇を過ごすことにすごい疑問を感じます。
人生のピークって早いような気がする?それでも頑張っていたい!!
常々思いますが、
人生のピークって早く来すぎませんかね?
普通の人間が一番早く走れるのはきっと10代ですし、女の子がなにもしなくても一番可愛いのも10〜20代前半ではないでしょうか。
もちろん例外は多々あるでしょうが。
しかし、自分が人生のピークにあることを当時は知らないんですよね。
大人になり、色々事を知ってから「あ、俺のピークはもう終わってるんだ」と感じることが多いような気がします。
もっと遅くピークが来れば無駄にしなかったのにと。
しかし、体は衰えていくとしても、心持ち次第でまだまだ輝けるぞと、勝手に自分は思っています。
何歳になろうと自分がまだ選手として続けている陸上競技をのんびりと自分のペースでやっていきたいと思うんです。
ヒトが歩行することって、実際凄いことなんじゃ・・・・・・
僕たち人間はなんかわりと歩きがちですけど、考えてみればこれは結構すごいことです。
人間の仕組み(構造)を考えてみればわかると思うのですが、人間ってめちゃくちゃ細長いんですよ(大デブを除く)。
これはどっからどう考えても横にした方が安定感はあるはずです。
もしくは安定した土台の上に立てていくとか。細長いのに立てた方がいいのはテトリスのアレだけです。
人間以外の動物を見てみても、だいたいはちゃんと4本足で横になっています。安定感ありますね。人間だけなんですよ。
物理法則にケンカ売ってるのは(笑)
これは他の人と違うことがしたすぎて逆にダサいパターンのアレかもしれません。
中学生の頃わざと傘をささなかったり、カバンをわざとボロボロにしたりするアレと同じかもしれません。
「は?俺らは4本足とかあんまり好みじゃないんだよね…こっちのほうがしっくりくると言うか…」みたいな!
もしかしたら人間は恥ずかしい奴らかもしれません。
もう動物園なんて行けませんね(笑)!
ブラックコーヒーを美味しいという人はだいたい嘘です!(ソースは僕)
10人中7人はおそらく「コーヒーをブラックで飲んで美味い!」と嘘をついていると思います。
本当に美味しいと感じる人はもちろんいるのは分かります。
しかし、誰かがカッコつけて「俺これ飲んどるやんね」とか言い出して、周りのヤツらが「俺もそれ分かるわ」的なノリで後には引けなくなった人がいると思うんです。
でももう正直になりましょう。
あれ味はないですし、いい匂いですが飲むとなぜか口の中が古臭くなるお湯です。
僕も最初「コーヒーなんて不味い飲み物やん」と言い続けてきて、周りの大人に促され飲み続け、舌の感覚が麻痺してしまっている手遅れの人間です。(好きでも嫌いでもないですが)
でも普通に考えて、飲み物で真っ黒なのはヤバいですよね?
シンプルに考えたらあの色は毒じゃない?今までカッコつけてきた人・・・・・・遅くはない、素直にカフェオレを飲みましょう。
ジョージアのカフェオレ・・・・・・僕も好きだ。
お酒の価値ってどんな風に決めてるのかよく分からない...
お酒の値段ってよくわからなくないですか?
キャバクラとかホストとかでウン百万も使う人って、結局お酒代として払っているんですよね?
「安いお肉はおいしくない、高いお肉はおいしい」というのは納得ですし、たまにはそこにお金をかけるのも自分へのご褒美としてありかなと思います。
しかし、「安いお酒はおいしくない」はいきなり意味がわからないのです。
高いお酒ってただ貴重なだけで、本当に味の違いがあるんですかね?
しかもそのちょっとした味の違いに、ウン十万といったお金は見合っているのですかね?
なんならお酒の値段って誰かが適当に「これはパッケージ豪華にして12万とかにしよっか」みたいな感じで決めてません?
なんか納得いきません。
「お金を持っていることをアピールするためにお金を使っている」ような気がしてならないのです。
30万円くらいのシャンパンの瓶からサイダーが出てきても、購入した人は気づかずに有難がって飲むのか試してみたい気はします。
「○○だから」って評価が変わるのはやめて欲しい(切望)
「うわぁ、この絵すっげえや。まるで絵の中に引き込まれるようで、時間を忘れて眺めていられるや。これを描いたの誰なんだろう」 → 「へぇ、ダリが書いたんだ。やっぱり有名なだけあるな、人を惹きつけるオーラがあるよ」
これはわかる。
「へぇ、この絵ダリが描いたんだ。そういやなんか名前聞いたことあるな。」 → 「そういやこの絵なんかすごいわ。時計がぐにゃぐにゃになってるとことか発想がすげえわ」
これはわからん。
「うわぁ、これめっちゃいいやん。誰が描いたんだろう。」 → 「誰やねんこれ。やっぱこれしょぼいわ。」
これもわからん。
「誰」によって対応が変わる人が苦手です。
めちゃくちゃかっこいい俳優さんがダサい服装をしていたら、それはやっぱりダサいし、チャラチャラした高校生がめちゃくちゃ上手い絵を描いていたら感銘を受けます。
でも人間誰しも、権威あるものや人気のあるもの、自分の好きなものに流されてしまうんです。
僕も友人の服装がカッコいいなと思った時、「その服いいやん。どこの?」ではなく「その服どこの?」「へぇ、いいやん。」と言っているような気がします。
すげえ有名な詩人が書いた詩であっても、「意味わかんねぇな」と思ったら少なくとも僕にとっては価値がないわけです。
たとえ友人がが書いた詩であっても、「これは考えさせられるなぁ」と感じたなら、それは僕にとってさっきの詩人の書いた詩よりも価値があるのです。
ただ、やっぱり詩人の書いた詩はなにか心をくすぐるものがありました。
つまり、やっぱりすごい人はすごいってことです。