「○○だから」って評価が変わるのはやめて欲しい(切望)
「うわぁ、この絵すっげえや。まるで絵の中に引き込まれるようで、時間を忘れて眺めていられるや。これを描いたの誰なんだろう」 → 「へぇ、ダリが書いたんだ。やっぱり有名なだけあるな、人を惹きつけるオーラがあるよ」
これはわかる。
「へぇ、この絵ダリが描いたんだ。そういやなんか名前聞いたことあるな。」 → 「そういやこの絵なんかすごいわ。時計がぐにゃぐにゃになってるとことか発想がすげえわ」
これはわからん。
「うわぁ、これめっちゃいいやん。誰が描いたんだろう。」 → 「誰やねんこれ。やっぱこれしょぼいわ。」
これもわからん。
「誰」によって対応が変わる人が苦手です。
めちゃくちゃかっこいい俳優さんがダサい服装をしていたら、それはやっぱりダサいし、チャラチャラした高校生がめちゃくちゃ上手い絵を描いていたら感銘を受けます。
でも人間誰しも、権威あるものや人気のあるもの、自分の好きなものに流されてしまうんです。
僕も友人の服装がカッコいいなと思った時、「その服いいやん。どこの?」ではなく「その服どこの?」「へぇ、いいやん。」と言っているような気がします。
すげえ有名な詩人が書いた詩であっても、「意味わかんねぇな」と思ったら少なくとも僕にとっては価値がないわけです。
たとえ友人がが書いた詩であっても、「これは考えさせられるなぁ」と感じたなら、それは僕にとってさっきの詩人の書いた詩よりも価値があるのです。
ただ、やっぱり詩人の書いた詩はなにか心をくすぐるものがありました。
つまり、やっぱりすごい人はすごいってことです。